今回は素材となった伊能忠敬と本編の内容が非常に遠かったこともあり、知らなきゃどうしようもない問題に偏ってしまったと反省しています。
答えを発表すると共に、簡単に解説をさせていただきます。
@伊能忠敬が生まれたのは現在の地名でどこ?
A.千葉県銚子市 B.千葉県佐倉市 C.千葉県九十九里町 D.東京都台東区
Aそもそも測量を始めたのは何の一環?
A.天文学 B.植物学 C.民俗学 D.お遍路
B全10回に及んだ測量旅行。第1回測量では主にどうやって距離を測った?
A.竹の竿で B.鉄の鎖で C.歩数で D.量程車のメーターで
C第1回測量の時、連れていった弟子は何人?
A.0人 B.3人 C.6人 D.48人
D方位磁針の持ち方は?
A.首に提げる B.杖に取り付ける C.常に握っている D.水に浮かべてタライごと
E原本の複写に使われたのは?
A.針 B.版木 C.写真機 D.贋作絵師
F地図は重要な軍事機密。伊能忠敬の遺した日本地図を秘密裏に持ち出そうとした外国人は?
A.スエンソン B.オールコック C.シーボルト D.ペリー
G伊能忠敬の測量について、次のうち正しくないのはどれ?
A.潮の満ち引きは気にせず、通った時の海岸線を測った。
B.方位磁針が狂わないよう、腰には本物の刀の代わりに竹光(模造刀)を差した。
C.夜は天体観測を行う為、飲酒はご法度であった。
D.オランダから取り寄せたクロノメーターで、正確に緯度・経度を測ることができた。
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答えの選択肢を赤で表示します。
@伊能忠敬が生まれたのは現在の地名でどこ?
A.千葉県銚子市 B.千葉県佐倉市 C.千葉県九十九里町 D.東京都台東区
忠敬(幼名・三治郎)は小関村(現・九十九里町)で生まれ、後に佐原村の伊能家に婿入りしました。
Aそもそも測量を始めたのは何の一環?
A.天文学 B.植物学 C.民俗学 D.お遍路
忠敬は最初から測量や製図を志したのではありませんでした。
学んでいたのは「暦学」や「天文学」であり、最初の測量旅行は「緯度1度の長さを測って地球の大きさを知ること」が目的でした。
B全10回に及んだ測量旅行。第1回測量では主にどうやって距離を測った?
A.竹の竿で B.鉄の鎖で C.歩数で D.量程車のメーターで
量程車はゴロゴロ転がして車輪の回転数で距離を測る道具ですが、平坦な場所でしか使えない為、あまり活躍しなかったそうです。
第1回は急いでいたので、ほぼ歩測(一歩の長さ×歩数)のみで距離を測りました。
その後は鉄の鎖を使うことが多かったようです。
C第1回測量の時、連れていった弟子は何人?
A.0人 B.3人 C.6人 D.48人
息子の秀蔵を含む弟子3人を連れて北海道を測量しました。
D方位磁針の持ち方は?
A.首に提げる B.杖に取り付ける C.常に握っている D.水に浮かべてタライごと
彎窠羅針や杖先羅針とも呼ばれ、杖を傾けても水平が保たれるようにできていました。
サンゾウの杖に方位磁針的なものが付いていましたね。
E原本の複写に使われたのは?
A.針 B.版木 C.写真機 D.贋作絵師
原本の下に紙を重ね、曲がり角に針を突き刺して穴を開け、その針穴を結ぶことで複写したそうです。
F地図は重要な軍事機密。伊能忠敬の遺した日本地図を秘密裏に持ち出そうとした外国人は?
A.スエンソン B.オールコック C.シーボルト D.ペリー
いわゆる「シーボルト事件」ですが、裏では複雑な駆け引きがあったようです。
詳しくは文春文庫『文政十一年のスパイ合戦』(秦新二・著)をどうぞ。
G伊能忠敬の測量について、次のうち正しくないのはどれ?
A.潮の満ち引きは気にせず、通った時の海岸線を測った。
B.方位磁針が狂わないよう、腰には本物の刀の代わりに竹光(模造刀)を差した。
C.夜は天体観測を行う為、飲酒はご法度であった。
D.オランダから取り寄せたクロノメーターで、正確に緯度・経度を測ることができた。
北極星などの高度を観測することで「緯度」は正確に掴んでいましたが、当時の技術では「経度」を正確に測るのが困難でした。
伊能図の一部が若干東西にずれているのはその為です。

