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2016年03月06日

表現媒体

自分の作品がアニメ化されたらマンガ家は嬉しいに違いない。
でもマンガはアニメの下位互換ではない。
マンガにはマンガの価値があって、マンガにしかできない表現がある。

アニメみたいなことや映画みたいなことがしたいなら、演劇で代用せず直接アニメや映画をやった方がいい。
エンタメが氾濫する現代、「演劇」は「映像」の下位互換になりがちである。

でもそれは嘆かわしいことというより当然のことと言える。
圧倒的大多数の大衆が毎日「テレビ」を見ている。
テレビは大衆のニーズに応え、また、大衆のニーズに影響を及ぼしもする。
演劇がどう自己主張しようとも、世界の中心はテレビだ。
近頃はネットにおされがちだというがまだまだテレビだ。
テレビに出ることによってしか、役者は役者と認めてもらえない。

それでもやっぱり演劇は自己主張をし、映像ではできないことを開発していかなければならない。

そして、「朗読」は「演劇」の下位互換になってはならない。
いや、下位互換でもいいのだが、その場合は格安で提供されるべきだ。
それなりの料金を取るのなら、朗読でしかできない何かがそこになければならない。





ただし、
「目の前で役者が演じること」は「演劇にしかできないこと」ではないし、
「観客に想像させること」は「朗読にしかできないこと」ではない。
それはただの「前提」である。

「想像させる面白さ」だけなら、ラジオドラマを配信したりドラマCDを売ったりする方がいい。
その方が好きなタイミングで聴ける。

観客の目の前で台本を読むという一種異様な姿に、どう必然性を与えるかが問題だ。
posted by 森山智仁 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

役者のアップについて

中学高校の演劇部ではみんな一緒にやっていたアップ(準備体操や発声練習)も、歳を取るほどに段々とやらなくなる。
自主的にやればいいということになっている。

ワークショップをしていていつも不思議に思うのが、「みんなとりあえずあぐらをかいて股関節を伸ばしている」ということ。
確かに股関節は重要な関節だろう。
しかしあの風景は、「股関節が重要な関節だから」ではなく、「座ってプリントとか読みながらできるから」行われているという感じがする。

そして、そのあと他の部位を伸ばすわけでもなく、股関節が伸びたら終了なのである。
と言い切ったら大袈裟かも知れないが。

漫然と股関節を100秒間伸ばすよりは両足跳びを10回やった方が良い、と個人的には思う。
股関節だけ伸ばしてもリラックス状態は作れないが、軽く息が上がれば気持ちが目覚める。

アップは声の嗄れや怪我を防ぐ為でしかないという人もいる。

一方で、アップらしいアップなんか全然しない人もいる。
そういう人の演技が堅かったり眠そうだったりするかというとそんなこともない。
だからアップというやつは少しずつおざなりになっていく。

両足跳びとかそういう運動は効果が実感しやすいから、若い役者さんにはぜひ試してほしい。
普段運動不足の人は特に。
posted by 森山智仁 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

伊能忠敬クイズの解説

開演15分前までに来てくださったお客様には、以下のような「伊能忠敬クイズ」をお配りしました。
今回は素材となった伊能忠敬と本編の内容が非常に遠かったこともあり、知らなきゃどうしようもない問題に偏ってしまったと反省しています。
答えを発表すると共に、簡単に解説をさせていただきます。



@伊能忠敬が生まれたのは現在の地名でどこ?
A.千葉県銚子市 B.千葉県佐倉市 C.千葉県九十九里町 D.東京都台東区


Aそもそも測量を始めたのは何の一環?
A.天文学 B.植物学 C.民俗学 D.お遍路


B全10回に及んだ測量旅行。第1回測量では主にどうやって距離を測った?
A.竹の竿で B.鉄の鎖で C.歩数で D.量程車のメーターで


C第1回測量の時、連れていった弟子は何人?
A.0人 B.3人 C.6人 D.48人


D方位磁針の持ち方は?
A.首に提げる B.杖に取り付ける C.常に握っている D.水に浮かべてタライごと


E原本の複写に使われたのは?
A.針 B.版木 C.写真機 D.贋作絵師


F地図は重要な軍事機密。伊能忠敬の遺した日本地図を秘密裏に持ち出そうとした外国人は?
A.スエンソン B.オールコック C.シーボルト D.ペリー


G伊能忠敬の測量について、次のうち正しくないのはどれ?
 A.潮の満ち引きは気にせず、通った時の海岸線を測った。
 B.方位磁針が狂わないよう、腰には本物の刀の代わりに竹光(模造刀)を差した。
 C.夜は天体観測を行う為、飲酒はご法度であった。
 D.オランダから取り寄せたクロノメーターで、正確に緯度・経度を測ることができた。


答えを見る
posted by 森山智仁 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月26日

キャラクターの作り方を考える

「いいキャラしてる」という言い方をする時、「キャラ」という言葉は大抵「性格」を指す。
が、「性格」は「キャラ」のほんの一要素でしかない。

○性格・志向
○能力・特技
○弱点
○過去
○生活環境
○目的

6つ挙げたみた。
※ややこしくなるので「人間関係」は除いた。
※「年齢」「性別」「国籍」「容姿」も除いた。

この6つを「大事な順」に並べるとしたら、どうなるだろうか。
作品や個人によって違うのは当然。
それでも敢えて決めるなら?










1.能力・特技
2.目的
3.性格・志向
4.弱点
5.生活環境
6.過去

僕はこう考える。

性格より、能力や目的が大事。
「何ができるか」が最重要で、「何がしたいか」がその次。

よく「弱点を与えるとキャラは魅力的になる」と言われるが、僕はあまり上位に置かない。
弱点そのものが重要なファクターでない限りは、アクセント程度で十分。

同じ経験をしてもそこから何を学ぶかは人によって異なる。
従って「過去」もせいぜい補強程度の役割を果たすものである。

つまりルフィが魅力的とされるのは(僕は50巻ぐらいまでしか読んでいないが)、
「回想で語られるエピソード」より、
「悪魔の実を食ったので泳げないという弱点」より、
「仲間思いの馬鹿野郎な性格」より、
「海賊王になるという目的」より、
「ゴムゴムの能力」であると、
僕は考えるのである。
そりゃ全部大事ではあるが、ここから「ゴムゴムの能力」を取ると、途端に平凡にならないだろうか。
posted by 森山智仁 at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

『BIRTH』ご来場ありがとうございました

『BIRTH 〜ペルー日本大使公邸人質事件〜』ご来場ありがとうございました。
おかげさまで後半のステージはほぼ毎回満員御礼状態でした。

大勢のお客様・スタッフに支えられて、最後までやり切ることができました。
お返しとしては、また新たな良いものを作ることしかできないので、頑張りたいと思っています。





じっくりやった公演でした。
将棋で言えば「穴熊」です。

今までは、台本の頁数と上演時間がほぼ一致していました。
90頁なら90分です。
そうなるように書式を設定していました。
今回は97頁だったので、いつもの感じなら1時間37分のはずでしたが、実際の上演時間は1時間52分でした。
単純に、今までより、役者に自由に間を使ってもらったということです。
それが功を奏した部分もあります。
裏目に出た部分もあります。
間延びしているという声も少なからずいただきました。(それは演技より脚本の問題かも知れません)

稽古はいつもより通しが少なく、小返しが中心でした。
そうする必要がありました。





反省点も色々とあります。
しかし、何はともあれ、毎回かなり力強い拍手をいただけたので、良かったと思います。
これはこれで一つの到達点でした。
次はまた違うのをやります。





裏要素は、追記にて。続きを読む
posted by 森山智仁 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月28日

劇作家協会「月いちリーディング」南出謙吾『ずぶ濡れのハト』

月いちリーディング初参加。
こんなに人が集まるとは、そしてこんな有意義な会だとは知らなかった。

比べちゃ悪いが、下北沢の某演出家コンクールの審査会よりレベルが高かった。
プロばかりなのだからあちらの方が優れていてほしいが。

月いちリーディングは、まずいわゆるリーディング公演が披露され、その後一般参加者を交えたラウンドテーブル(自由なディスカッション)となる。

今回はそもそも、南出さんの作品のポテンシャルが高かった。
会話が巧い。
構成も良く出来ている。

ゲストも一般参加者も、作品の魅力を理解し、高めていこうという雰囲気があった。
それは作品の力でもあり、南出さんの人柄、誠実さによるものでもあった。

活発に意見が出て、最終的には課題が明確になった感じでまとまった。
毎回こうなのだとしたら凄い。

月いちリーディングには今後もできる限り参加していきたい。
posted by 森山智仁 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

両肩をつかむ動作について

ドラマ『Dr.倫太郎』のCMを見て、ふと思った。
堺雅人が蒼井優の両肩をつかんで何か言っているシーン。
あの「両肩をつかむ」という動作、あれができる人とできない人がいる。

「両肩をつかむ動作」は、物理的に、相手の「手振り」や「移動」を封じている。
すなわち「何が何でも相手を説得する意志」の表れである。
そういうものは、普段持っていない人がいきなり持つのは難しい。
インドアな現代っ子に「両肩をつかむ動作」をさせても必ずぎこちなさが出る。

僕は演出をするという立場にありながら、「何が何でも」という意志があんまりない。
脳のどこかで「他の人の言うことの方が正しいかも知れない」と「常に」考えている。
昔は教師を志していたこともあったのだが、向いていなかったと本当に思う。
分別や常識を教える上では、少なからず「何が何でも」という意志が必要だからだ。

演出は、確固たるビジョンに当てはめていくスタイルもあれば、ふんわりと方向性を定めていくやり方もある。
ぶっちゃけ前者のスタイルの人の方が大成していると思うが、僕は後者向きであり、それでいいと思っている。
以前は「ビジョン派」を装っていたのだが、その「確固」はよほどの「確固」でなければ成立しない、ということを知ったのだった。

他人の両肩をつかむ動作は、できない人はできないでいい。
「そういう距離感の人間」にも需要はある。
ただ、生きていく上で、「自分の両肩をつかんで何かを強いるべき局面」は、誰にでも何度か訪れる。
posted by 森山智仁 at 03:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

『チャペック博士の子供たち』ご来場ありがとうございました

第26回公演『チャペック博士の子供たち』全16ステージ無事終了しました。
ご来場ありがとうございました。

「今まで(のバッコス)で一番良かった」
という声を多くいただいた一方、
「先が読めてしまった」
という声も頂戴しました。

ロボットもので「環境問題」に行き着くことは、決して珍しくはありません。
むしろ定番とも言えます。
冒頭に置いたマイナスワン発動のシーンは、親切である一方、人によっては親切過ぎたはずです。
先が読めてしまう人もいるだろう、と思っていました。

読まれることは前提とした上で、台詞の内容、話の運び方、そして役者の演技で、いかに惹きつけ続けられるか。
それが一つの勝負所だったと言えます。
萩原浩の『砂の王国』という小説は、およそ行き着く先は予想できていても、とにかく経過が面白くて、グイグイ読まされる作品でした。
勘のいいお客様に対しては、そういうことがしたかったのですが、やはり及ばない部分もあったと認めざるを得ません。

ちょっと前に劇団バッコスの祭のキャッチフレーズを「最高のスタンダード」から「屈折のスタンダード」に変更しましたが、今回は比較的屈折具合の少ない「スタンダード」だったということになるでしょう。
今後も様々な「屈折具合」を試していきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。
posted by 森山智仁 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

演劇ラーメン

前回の公演のアンケートの集計作業をした。

平均満足度、1〜5の5段階評価で、4.52点。
アンケートなんて基本優しいものとは言え、立派な数字じゃないかと思う。





劇団を旗揚げするというのは、ラーメン屋を開くのに似ている。
しかも激戦区に。
ラーメン業界のことに詳しいわけではないが何となく。

昨今、商売というものはおおよそ、「消費者のニーズに合わせる」が主流。
昭和の「お客様は神様です」発想に始まり、今に至る。
それが「ジャパンメイド」の品質を支えていることは事実。
だが、今や(というより結構前から?)飽和状態にあって、
いかに個性を出すか、がテーマになることもある。
それでも基本はあくまで「お客様」である。

そんな中、ラーメン屋は、店主が自分で美味いと思うものを出すものだ。
お客に合わせるのではなくあくまでも自分の舌が基準。
全部が全部そうではないだろうがそうと仮定する。

エンタメ業界も「売れるものを作る」が基本とされている中で、
演劇人という人種は自分が面白いと思うものを作り続けている。
「業界」つっても、実質ほとんどアマチュアなのだが。
アマチュアだからそういうやり方ができるのだが。
そしてそんなだから、小劇場ってどこもつまらないと言われるのだが。

自分の信じる道を行くのに、何故アンケートを取るのか?
それは、知りたいからだ。
ラーメン屋はお客の表情を見ることができるし、
毎日営業しているのだから評価が客足につながりやすい。
対して演劇は上演中にお客の表情を見ることなどできないし、
公演は年に数日だから動員数=面白さというわけではない。

作りたいものを作ればいい。
けれど、それがどう捉えられたのか、
気にかけなければ、ただの自己満足になってしまう。

どう思われてもいいなんてことはない。
できれば、好かれたい。
posted by 森山智仁 at 04:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月25日

問題づくり

「女性は差別されているのか?」
「国防は如何にあるべきか?」
「出生前診断は是か非か?」

あらかじめ立てられていた問いに対して答えを考えるのが、
最近の三公演だったとしたら、
次回のお題「ロボット」にはそういうものがない。

ロボットは別に「問題」でも何でもない。
むしろ一般的に見れば「希望」である。
人間の仕事がロボットに奪われるなんて議論もあるが、
そんなことは産業革命の頃に腐るほどあった話なのだ。
ミシンの登場で何人の針子が失業したか知れない。

近世の賢者たち(しばしば作家)の予言は当たったり外れたりである。
ヴェルヌの描いたように、月には到達したが、
チャペックが描いたような、ロボットによる反乱は起きていない。
当面そんなことは起こりそうもない。
ロボット三原則云々以前に、そこまで技術が進んでいない。
「ロボット」っつったら「自我」と連想できるぐらい定番だが、
今のところ「可能性」もないし、それ以上に「必要性」がない。

ロボットが自我を持つ。
それは比喩が独り歩きした結果の、異形のファンタジーである。
心理学や哲学、あるいは玩具業界では価値あることかも知れないが、
実用性の面からしたら自我のあるロボットを作る理由がなさ過ぎる。

ロボットと聞いた時、真っ先に思い浮かべる「機械人間」は、
現実との繋がりのか細い、空想上の存在である。
そういうものをただこねくり回しても、
空想の中で終始するだけの物語に終わってしまう。

現実的でも、有益でもない。
しかし「ロボット」という(想像上の)存在は、
逆に「人間」とは何かを考える上で強力な比較対象となる。

次回作は「問いを立てる」段階からのスタートとなっている。
posted by 森山智仁 at 06:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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