でもマンガはアニメの下位互換ではない。
マンガにはマンガの価値があって、マンガにしかできない表現がある。
アニメみたいなことや映画みたいなことがしたいなら、演劇で代用せず直接アニメや映画をやった方がいい。
エンタメが氾濫する現代、「演劇」は「映像」の下位互換になりがちである。
でもそれは嘆かわしいことというより当然のことと言える。
圧倒的大多数の大衆が毎日「テレビ」を見ている。
テレビは大衆のニーズに応え、また、大衆のニーズに影響を及ぼしもする。
演劇がどう自己主張しようとも、世界の中心はテレビだ。
近頃はネットにおされがちだというがまだまだテレビだ。
テレビに出ることによってしか、役者は役者と認めてもらえない。
それでもやっぱり演劇は自己主張をし、映像ではできないことを開発していかなければならない。
そして、「朗読」は「演劇」の下位互換になってはならない。
いや、下位互換でもいいのだが、その場合は格安で提供されるべきだ。
それなりの料金を取るのなら、朗読でしかできない何かがそこになければならない。
ただし、
「目の前で役者が演じること」は「演劇にしかできないこと」ではないし、
「観客に想像させること」は「朗読にしかできないこと」ではない。
それはただの「前提」である。
「想像させる面白さ」だけなら、ラジオドラマを配信したりドラマCDを売ったりする方がいい。
その方が好きなタイミングで聴ける。
観客の目の前で台本を読むという一種異様な姿に、どう必然性を与えるかが問題だ。