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2014年03月22日

最大のテーマ

「右翼に属さずに誇りを保ち、
左翼や宗教に属さずに平和を求めることはできないのか?」

旅に出る前から、密かに最大のテーマであった。
特に後者である。

純真な人からは「できるよ!」と言われるかも知れない。
つぶやくだけならできるだろう。
けれどある程度声を大にしようとしたら、
必ずどちらかの影が首をもたげてくる。





共産主義は、無理だ。
共産主義は人間の善良さを信じ過ぎている。

A:サイコロの1の目が出る確率は1/6。
B:だから60回振れば10回1が出る。
極端だが、そのぐらい無理のある信頼である。
Aは不動の事実。
しかしBは単なる期待値である。

みんなで働いてみんなで分け合えば豊かになれるかも知れない。
だが、怠ける人間、ズルい人間は必ずいる。
頑張っても頑張らなくても分け前が同じなら尚更である。
事実、トイレが激烈に汚かったり、頼んだ料理が全然来なかったりする。





戦争をしてはいけない。
そこはガチ。
なのだが、戦争反対派は「アカ」呼ばわりされやすい。
弱肉強食の否定は確かに共産主義的ではあるのだ。

僕はアカは嫌だが、かと言って誇りを捨てたいわけでもない。

どちらかに傾倒すれば必ず視野が狭まる。
日本兵の中には、
立派な兵隊もいただろうし、
住民を虐殺する兵隊もいただろう。
いずれかが真実なのではなく、いずれも事実なのである。
みんながみんな同質の兵隊だったわけがない。
なのに右翼VS左翼は、そのイメージ作りで戦っている。





右翼と左翼の意味も知らない人だって大勢いる。
(僕だって完全に理解しているわけではない。
Yahoo!知恵袋に投稿でもしたら「勉強不足」と言われまくるだろう)
そういう人にとって、右翼または左翼は「ただ何となく怖い」。
関わり合いになりたくないと思うのが自然だろう。

「アカ」の烙印を押されて破滅することは戦前からある。

一方、近年は「ネトウヨ」なんてのもいる。
基本的には関わり合いになりたくないと思っていても、
ネット上の記事は(匿名で)右翼的視点で書かれたものが少なくない。

ざっくり言って今は右翼優勢の世の中だと思う。

事実を自虐史観と呼んで、伝えることを阻む。
日本の兵隊はみんな立派だったことにする。
今、そういう流れがある。

そして、「関わり合いになりたくない人たち」は、
漠然と、優勢な側についてしまう。





罪や痛みの改竄。
美化。
見過ごすことはできない。
戦争を実体験した人たちはまもなく皆世を去る。
継承しなければならない。

伝えるために、戦う。
戦うけれど、先に言っておく。
僕はアカじゃない。


posted by 森山智仁 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 取材旅行:沖縄編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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