強く引き、慎重に腱を狙う。
放った。
巨体が僅かに動く。
矢は刺さったが、急所は外れた。
と同時に、子狗が鋭く地を蹴り、こちらに向かって駆け出した。
しまった。
方向を探っていたのか。
知能、ただの噂ではなかった。
息を殺した。
悟られたのは方向だけ、位置までは知られていない。
道具袋に手を入れた。
矢に鏑玉を取り付け、少し離れた樹に放った。
森中に破裂音が響き渡る。
子狗が樹に駆け寄る。
掛かった。
知恵比べならば人間の本領、譲るわけにはいかない。
子狗が樹の回りをうろついているうちに、
弓をきつく張り直し、
矢尻を毒に浸した。
卑怯などとは思わない。
始めは毒を使わずに勝負してみたかったが、
必要があるなら使うだけのことだ。
全力で引き絞る。
巨体の上、避けようとはしない。
狙いは多少大雑把で構うまい。
放った。
矢が巨狗の脚をとらえた。
受けた巨狗は駆け出そうとした。
しかしその脚はもう地を蹴ることはできなかった。
勝負はついた。
あとは子だ。
親の元に戻り、身を案じているところを狙えばいい。
こちらぐらいは毒無しで勝負しよう。
機を伺っていたムムシュは、思いもよらぬものを見た。
人間。
剣を帯びている。
狩人か?
そうは見えない。
狗の親子に攻撃しようという気配はない。
それどころか、親狗の姿に呆気を取られている。
ただの旅人か。
まぁ、構うことはない。
子狗の姿が見えた。
親狗と、旅人のすぐ近く。
子の動きはかなり速い。
この距離ならば矢を避けることもできるだろう。
ならばもう一度攻めてこさせた方が狙いやすい。
子狗のすぐそばの樹に、誘いの矢を射た。
来る。
向かってくる的を射るのは実に快感だ。
優越感に浸れ、容易でもある。
容易な、はずだった。
目を疑った。
旅人が子狗の背に跨がっている。
何故?
奴は何者だ?
俺のことは見えているのか?
ムムシュを動揺させたのはそれらの疑問だけではなかった。
真っ直ぐな怒りが、
歪んだ悲しみを乗せて、
突っ込んでくる。
旅人のことなど何も知らないが、
ムムシュには確かにそう見えた。
その異様な威圧感が手元を狂わせた。
矢は子狗の脇をすり抜け、闇に吸い込まれた。
狙いを外したことでさらに焦躁し、次の矢も外した。
そしてムムシュがその次を番えるより早く、子狗と旅人はムムシュの姿を見つけた。
疾い。
牙と、剣。
生まれて初めて死の恐怖を感じた。
樹の枝から落ちるようにして辛うじて避けた。
煙玉を投げ、どうにか逃げ切った。
闘志が燃え上がった。
あいつらは、的だ。
「いつか射抜く」
いつか。
ムムシュは繰り返し呟いた。