パートナーがいるわけでもなく、
結婚願望もなく、
特に子供が欲しいというわけでもないのに、
出産に関することを色々読んだり考えたりしていて、
自分の年齢が30ということを思うと、
「高齢出産」という言葉には敏感にならざるを得ない。
日本産婦人科学会によると35歳以上の初産が高齢出産という定義らしい。
倖田來未が「羊水が腐る」発言で叩かれて(随分昔のことだが)、
だからそういうこと言うと怒られそうだからみんなあまり言わないけれど、
事実、卵子は老化するものであって、高齢出産は「リスク」を伴う。
一方、高齢出産にはメリットもあるという。
親の人格が円熟していて子育てに良い影響があるのだとか。
さて、新型出生前診断である。
採血だけで、高精度で染色体異常を調べられる検査法だが、
受診の要件の一つに「高齢出産であること」が含まれている。
21トリソミー(ダウン症)の発症率は妊婦の年齢が高くなるほどに上がる。
故に理不尽な取り決めというわけではない。
着目すべきは、
「高齢出産になるとダウン症の子が生まれて“しまう”かも知れませんよ」
という文脈が、
この取り決めの中に含まれているという点である。
出生前診断に強制力はない。
陽性だったら中絶しなければいけないというわけではない。
(ただ陽性と診断された人のほとんどは中絶を選ぶ)
しかしやはり、「ダウン症」は「リスク」であって、
回避できるなら回避したいこと、という前提が出生前診断にはある。
(何だか当たり前のようだがそういうことだ)
大切な友人やその家族の中にダウン症の人がいたら、
出生前診断は「受けたくても受けにくい」だろうか?
取り決めが改訂されるなら35歳未満でも出生前診断を受けたい、
という人はどのぐらいいるだろうか?
つい僕は気の滅入るようなことばかり考えてしまう。
「かわいそう」なのは「赤ちゃんが」なのだろうか?
僕自身がダウン症の子供を授かるとしたらどうだろうか?
なんだかんだ、そこを考えるべき局面なのだが、
如何せん子供を育てられるような身の上でなく、想像が難しい。
「まぁそういうこともあるだろう……」
と、多分僕はそんな感じの受け止め方をするような気がするのだが、
あくまで想像の中のことだし、どうしても切迫感がない。
新型出生前診断は「今生きているダウン症者の否定」という面がどうしてもある。
そこでヒューマニズム的に一番誰にも文句をつけにくいのが、
「命に優劣などないのだから生まれておいで」的なメッセージなのだが、
大多数の母親たちの「五体満足への願い」もまた、
一方的に否定されるべきものではないと思うのである。
ダウン症者とその家族も、大多数の母親たちも、誰も傷つけたくない。
と思うとなかなか落としどころが難しい。
実は、もう悩んでいるわけではない。
次回作の「結論」は既に定めた。
ただ、新型出生前診断に対する僕個人の見解は、結局定まっていない。