たくさんの才能ない演劇人がこれ読んで真っ青になって演劇辞めたらいいのにと、
朝井リョウは思ってると思う。
最後に主人公の態度は批判を受けるわけだが、
それによって彼の観察や分析の切れ味が落ちるわけではない。
スキがねえ。
制空権を取られている。
演劇やってることを彼に納得してもらえる気が微塵もしない。
まぁ納得してもらう必要などどこにもなく、
創作の過程をアーティスティックにツイートする必要はそれ以上になく、
ただ地道に作品を作り続けるしかないのだが。
隆良やギンジと俺は違う。
と思いたがっている時点で多分やっぱりちょっと似ているのだろう。
恥ずかしさと悔しさで抜け毛が増えそうだ。
拓人の気持ちがすごくよくわかる。
つきつけてやりたくてたまらない。
わかるのに、切っ先の向こうにいるのは自分のような輩という悪夢。
俺は、違う……!
違うんだ、ちくしょう……!!
と、僕は泣きながら、演劇を辞めない。
「カッコ悪い姿であがき続けるしかない」からだ。
そしてとりあえず今年いっぱいは読んだ本とか数え続ける。
嘲笑されるのはしょうがない。
理香がつっこんでなかったことを一点、つっこみたい。
好きな作家や印象に残った作品のことをSNS上で存分に語り、
自分ひとりが気に入らないものに関しては誰にとっても悪だという視点で批評をする。
そんな人たちのことを見ていると、俺は、一年前の自分を見ているような気持ちになる。と、主人公はいうが、
そういう切り捨ては「人間性」についてずっと彼がやってることじゃないだろうか。
尊敬できるか滑稽かの二択。
中間がいない。
それに僕は、批評はしていいと思うのだ。
主観的でいいから。
なるべく客観的な方が望ましいが主観でいい。
どうせ完全に客観的な視点は持てない。
読む方にとって「一個人の意見に過ぎない」ことは自明。
だからいちいち「あくまで一個人の意見です」と注釈を付ける必要もないし、
「それ一個人の意見だろ」と憤る必要もない。
批評がなければ、育たない。
今は「好みの違い」に変換して押し殺すのが主流となっているようだが、
フィードバックを送ってあげないと作り手は成長しない。
雨あられのように批評を浴びれていれば、そのうち浴び方も学ぶ。
ただ感情的なだけの意見か客観性を意識した意見か見分けられるようになる。
【年内読書25冊目】