何も基地問題に限らない。
交通事故、医療事故、詐欺、戦争。
他者から何かを奪われた人は怒りを抱く。
そして時に、長い年月を闘争に費やす。
それこそ半生をかけることもある。
怒りに包まれ、闘争している時、「生産」はしていない。
生産する可能性が失われている。
そのことでさらに怒りが増幅し得る。
怒りはエネルギーになる。
けれど、燃料としてあまり質のいいものとは言えない。
「作品」をいくつか仕上げたことのある人ならわかると思うが、
「どんどん書ける」状態というのがある。
怒りに侵食されている時は大概、その状態に入れない。
昨日、嘉数の展望台で出会った男性。
僕が展望台に上がった時には既にいて、
旅行者?と話をしていた。
「日本政府は米軍の下にいる」と。
そして、僕と話している時、さらりと、
「今日は(戦闘機が)2時に1機飛んだ」
と言った。
町中にいても戦闘機が飛んだことはわかる。
ずっと展望台に(遅くとも2時前から)いたとは限らない。
限らないが、僕は彼が、ずっとここにいたのだろう、と感じた。
そして戦慄した。
僕の想像通りだったとして。
怒りと共にある彼の人生が虚しいものだと、誰に言えるだろう。
ただ、同じ時間を、何か生産することに費やす道もあった。
その道は選ばなかった。
選べなかった。
歴史上、幾度も侵略を受けた沖縄。
この島には独特の「ユルさ」があるという。
それは、怒りにさいなまれて生産ができなくなるのを避ける為の、
一種の防衛手段なのかも知れない。