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2013年12月31日

リチャード=バック著・五木寛之訳『かもめのジョナサン』

元パイロットの書いた世界的ベストセラー。
普遍的なものを描いている。
だが、訳者が解説に書いた懐疑的な視線にも強く共感する。

その日その日エサを取ることしか考えない仲間を尻目に、ジョナサンはひたすら飛行訓練を重ねる。
パート1(全部で3)はジョナサンに感情移入できるし、具体的な描写が多い。
ところがだんだんと「わかってる奴同士」だけで喋るようになり、精神的な世界に行ってしまう。
英雄というより宣教師に近い。

「私たち人間はなぜこのような<群れ>を低く見る物語を愛するのだろうか」
千人中千人の読者は群れで生きることしかできないのに。





「大衆的な物語の真の作者は、常に民衆の集団的な無意識であって、
作者はその反射鏡であるか、巫女であるに過ぎない」

訳者の主張はきっと正しい。
単なる商業でない限り、受け手を喜ばせることだけが「作者」の「仕事」ではない。
受け手は「啓蒙」され「開発」され得る。

……という考え方のなんと「ジョナサン的」なことか!

……やはり普遍的なものを描いている。

【年内読書50冊目】
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2013年12月29日

チャールズ=ダーウィン著・夏目大訳『超訳 種の起源』

150年前に書かれた進化論の火種を読みやすく訳した一冊。

全ての生命は神が造った、と信じられていた時代。
ページの向こうに灼熱の論争が透けて見える。

ダーウィンは自説の正しさをほとんど確信しながらも、
地球の歴史の長さや遺伝の法則など、
わからないことはわからないと正直に書いている。
誠実な態度。
いかにしてダーウィンなる知性が生まれたかこそ進化の不思議と言えよう。

【年内読書最低50冊まで残り1冊】
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2013年12月27日

新井一著『シナリオの基礎技術』

初版は1968年。
テレビは地デジで映画は3Dでネット社会の現代においても、まったく色褪せていない。
というより、シナリオが進化していないとみるべきか。
(もちろん優れたシナリオはたくさん出ているが)
著者は1968年の段階で既に、プロでも犯す愚行をいくつも指摘し、シナリオ界の未来を憂えている。

題にある通り、この本はシナリオライターを「技術職」と考えている。
気まぐれな天才に務まるものではない。
練習を積み重ね、技術を一つ一つ取得しなければならない。

技術は練習のみならず、人生経験や鑑賞体験・読書体験でも得られるから、
志した時点で「既に」多くの技術を身につけている人もいて、しばしば天才と呼ばれるが、
胡坐をかいている人は、積み重ねる人に必ず追い抜かれる。

教えてできるもんじゃなさそうなことを、著者はきちんと体系化して教えようとしている。
スポーツ科学の発展が連想される。

役者への当て書きを否定していることが、僕にとっては新鮮だった。
もちろん映画界・テレビ界と小劇場界は事情が違うし、
「何でもできるのが役者」とは考えないので全面的には同意しかねるけれど、
やはり当て書きには短所もあるということを意識しなければならない。

【年内読書最低50冊まで残り2冊】
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青柳碧人『浜村渚の計算ノート』

高校時代の先輩のデビュー作。
高校時代の先輩が作家になっていたことは、今年の夏にお呼びいただいた演劇部OBのバーベキューで知った。
彼はブンガクの人でなく、就労経験もない。
そういう先輩がいることを知れただけでもあのバーベキューに行った甲斐があった。

面白い。
表紙とタイトルから期待される通りの内容。
安定した伏線。
かわいらしい世界観。
数学への愛に溢れている。

地の文に心なしか読点が多い気がするが、そんなことを気にするのは僕ぐらいだろう。
音読する時のリズムは確かにこの打ち方だ。
だが文章としての見た目は少し減らした方が美しい……と、活字への愛を込めて。

【年内読書最低50冊まで残り3冊】
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2013年12月25日

代表作

与謝野晶子と言えば『みだれ髪』だ。
後年、彼女はこの歌集におさめられた若い歌を嫌い、何度も手直しをしている。
(手直しによって劣化したとする見方が多勢を占める)
が、代表作が『みだれ髪』であることは、本人がどう望もうと変更し難い。

晶子の生涯には、俯瞰した限り、スランプらしきものは見当たらない。
むしろ夫の黄金時代が早々に終わってしまい、
家族を支える為にはスランプに陥っている余裕などなかったらしい。
立ち止まることなく書き続け、書いたものは売れたが、
とにかく今、教科書に載っているのは『みだれ髪』である。

後期の歌にも良いものがたくさんあるが、
辛酸を舐め、経験を積み、円熟した歌よりも、
初期の未熟な(本人に言わせれば)歌の方が強く記憶されている。

デビューが鮮烈過ぎて、後の作品に光が当たりにくくなっている。
けれど「この人と言えばこれ」という作品を一つこの世に残せれば、作家として十分に幸福なことだ。
posted by 森山智仁 at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中村文雄『君死にたまふこと勿れ』

かの詩は「反戦詩」でなく「厭戦詩」である。
ということがメインの主張なのだが、正直、それを論証する価値が見い出せない。
国家主義者の大町桂月が激昂して書き殴った批判は確かに噴飯ものだが、
桂月は既に『明星』の討論記事において十分やっつけられているし、
現代に生きる我々がかの詩をどう読むかにおいて、
反戦か厭戦かという議論はあまり重要でないと思う。

晶子に皇室への敬意があったことは疑いない。
が、だからと言って問題の第三連を「天皇批判ではない」と言い切れるのか。
敬意を払うとは全肯定することではない。
というか、何の構えもなく普通に読めば、天皇に文句を言っていると取れる。
(天皇個人にというより、天皇をまつりあげての軍国主義に、だが)

確かに、その時の胸中を素直に歌ったに過ぎないのだろう。
また、晶子は生涯戦争に反対していたわけでもない。
(正確な情報を与えられていなかった為。つまり平均的な明治人だった)
しかし「反戦詩」は果たして不名誉なレッテルなのだろうか?
そこのところがどうもわからない。

当時、桂月や全体主義者たちが騒ぎ立て、軍部が危険視していただけであって、
現代の我々が『君死に〜』を読んで「非国民め!」などと罵ることはあり得ない。
著者は存在しない敵と戦っているように思われる。

主題には共感しかねたが、一篇の詩の研究書としては非常に深い。
特に最後、教科書問題に触れるところはハッとさせられた。

【年内読書最低50冊まで残り4冊】
posted by 森山智仁 at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月24日

ながれゆく

特定秘密保護法。
あんなに大騒ぎしていたのに、通ってしまえば静かなもの。
それほど強固に反対していたわけではない僕も、あまりのあっけなさに唖然としている。

東日本大震災。
NHKが頑張ってくれているおかげで(と感じる)、忘れずにいられる。
というか、済んではいないということを確かめ続けられる。

消すも残すも、メディアは操作できる。

そのメディアを完全に掌握できれば世論を操作できるようになるわけで、
ひいては過去の歴史さえも改竄することが可能になるだろう。
posted by 森山智仁 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

なぜ人は争いをやめないのか

っていう(類の)フレーズをもういい加減やめないか。

流通し過ぎている。
あまりにも常套句。
このフレーズを使う時、ほとんどの人はきっと本当に「なぜ」とは思っていない。
アバウトな嘆き。
シンプルなまとめ。
原因を追究しなければならないとはあまり考えていない。
思考を放棄している。

ため息をついているだけでは絶対に争いは止まらない。
原因は追究されなければならない。
posted by 森山智仁 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マイク・ニコルズ監督作品『卒業』

ラストシーンが有名過ぎて逆に感動しなかった。
『リング』でテレビから貞子出てくるところが怖くなかったのと同じように。
もうどうしようもない類のネタバレ。
有名過ぎるのも考え物だ。

感動しなかったのはラストまでの経緯の所為かも知れない。
ミセス・ロビンソンとのことは十分理解できるが、
ベンジャミンがエレンの何を好きで、
エレンがベンジャミンのどこに惹かれたのか、
全然わからなかった。
ミセス・ロビンソンとの間には「そういうもの」は必要ないが、
エレンとの間には必要だったと思う。
(ベンジャミン→エレンはまだいい。
エレン→ベンジャミンが本当にわからない)

ストーカー行為を肯定するかのようでもあって少々寒気がした。
だいぶ前だが真保裕一の『奇跡の人』を読んだ時も同じ感想を抱いた。

映画として優れた表現はたくさんあった。
自宅のプールは超重要な小道具。

【年内映画鑑賞50本目】
posted by 森山智仁 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

DULL-COLORED POP『アクアリウム』@シアター風姿花伝

つくづく面白い。
安心して観に来られる数少ないカンパニー。
本当にみんなにも観てほしい。

もう最初からずっと面白い。
あの超シビアなやりとりの直後に爆笑が起こるという、劇場空間の全体の笑いの高さ。
観劇行為の最中に観客のレベルが引き上げられている。
超メタドラぐらいの経験値。
平田オリザは、演劇には啓蒙の役目があると言っていたが、まさにそれが実現している。

演技体そのものへのアイロニー。
「あっち」の演技を信望する役者や演出家が見たらどんな反応をするんだろう。
(もうそんな人たちはいないのか? いや、いる。結構いる)
前説で「古い」と断言して嘲りつつも、口語演劇への自己批判も忘れていない。

しかしあの「古い演技」が頼もしく感じる部分もあった。
自首してきた彼をボカスカするところは痛快だったし、
あの場面においては嘲笑より敬意を示す意図があったのかも知れない。

終わり方がちょっとだけ蛇足と感じた。
タイトルを説明したかのような。

【年内舞台鑑賞76本目】
posted by 森山智仁 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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