有間しのぶ『モンキーパトロール』という漫画の、「服」を「フク」と書く表現が好きだ。
服飾に対するナチュラルな愛が伝わってくる。
というわけで借用してみる。
フクに対して意識の高い人と低い人の対立は永遠である。
とりあえず僕は低い。
残念ながら低い方だ。
演出もやってるんだから良くないことだとは思う。
「髪すけよ。
フクはいいからとりあえず髪すけよ。
美容院行って恥ずかしい思いして来いつってんじゃないんだよ。
床屋でいいから髪だけすいてくれよ」
って言いたくなる感じのもっさもさのヲタクの人がいたとする。
彼は何故もっさもさなのか。
「自分の外見に興味がない」という説が一般的である。
それもある。
が、それ以上に、恐らくこういう意識が働いている。
「自分の外見に対して何らかの手を加える行為は、
“生まれつき見た目がそんなにひどくない人種”にのみ許された特権である」
(何を隠そう僕もちょっとそう思っているフシはある)
どんな世界でも、努力している人がしていない人を蔑む、という現象はある。
努力とはつまり時間や予算や精神力を投じる行為である。
怠る他人がいれば腹も立つ。
フクに気を遣っている人がそうでない人を軽蔑するのも無理はない。
問題は、自分の外見に無頓着な人は、
努力を「努力」と見ず、「特権の行使」(あるいは「謳歌」)と見ている、という点だ。
つまり、単純な対立ではなく、食い違っている。
さて、『プラダを着た悪魔』は、非常に面白かった。
半分だけ観るつもりのはずが(僕は集中力がないのでしばしばそうする)一気に観てしまった。
フクを疎かにする人への軽蔑は、ある。
しかし決めつけて跳ね飛ばすような軽蔑ではなく、
言葉を尽くし、文化を理解しないことは愚かだと語りかける、高度な軽蔑である。
主人公はダサいところからスタートし、その立場の声も放つというのが肝。
別に何着ててもアン・ハサウェイ超かわいいけどな……。
それにしても、だ。
ミランダの子供たちがかわいそうだ!
かわいそう過ぎる!!
仕事を捨てて家庭に入れなどと言いたいのではない。
なんでアシスタントに理科の宿題やらせてんの。
ハリーポッターとかどういうこと?
あの甘やかし方は異常。
絶対ろくな大人にならない。
仕事バリバリやってクソ厳しいというのならカッコいい。
そのカッコ良さは離婚では目減りしない。
しかし子供との向き合い方、その一点が致命的で、僕はついにミランダを尊敬できなかった。
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