君は少数派だ。
と、僕はことあるごとに自分に言い聞かせなければならない。
「若衆(亀山社中の面々とか)の“活気”作り過ぎ!」
と僕は思うが、
「若い人が元気でいいわねえ」
と多くの人が思うだろう。
「薩摩と長州のいがみ合い誇張し過ぎ!」
と僕は思うが、
「薩摩と長州はあんなにいがみ合ってたのに龍馬が結びつけたのねえ」
と多くの人が思うだろう。
この前テレビで「スーパー能」の話を観ていて、そのセリフに何度か驚いた。
試みは素晴らしい。
しかし生きた人間が発する言葉として普通に(わかりやすくしようとした結果でなく)変。
と数回思ったが、
そんなことを思うのはせいぜい100人中1人ぐらいで、
社会の中ではそんな奴をいちいち相手にしていられない。
一票の重みは均等である。
100人中1人が「ここが良くない」と熱く語っても、
残り99人が「別にいい」ならそれは「別にいい」のである。
逆も言える。
↑何の逆だ。
僕がいつも少数派側というわけじゃない。
普通に「へー」って感じで聴いていた『龍馬伝』の土佐弁も、
地元に人からは「作り過ぎ」という声が聞かれた。
しかし、仮に高知の人全員が「作り過ぎ!!!」と思っても、
47都道府県中1県だから「大したことはない」。
「どこが悪いか」ではなく「何故売れているか」を見なければならない。
商人なら必ずそうする。
【年内映画鑑賞最低50本まで残り25本】