81〜90本目のベストは、
ファルスシアター『パパ☆アイ☆ラブ☆ユー〜It Runs in the Family〜』。
ウェルメイドであった。
「面白い」には2種類ある。
「普通に面白い」と、
「他の人にはわからないかも知れないけど面白い」だ。
僕は「普通に面白い」方の演劇を作ろうとしているし、
よその劇団が「普通に面白い」ものを作っているのを観ても嬉しくなる。
しかし改めて考えてみると、
他人に“強烈に”推薦したくなるのは、
「他の人にはわからないかも知れないけど面白い」方かも知れない。
それを面白いと思えるセンスが自分にある、
という優越感、
とか独占欲(というと何か変だが)、
のようなものがそこにはあるように思える。
みんなが愛するものより、
自分だけが愛せるものを愛したい(但し自分と同じ感覚を持つ“仲間”とは共有したい)、
という感じ方は、
多分ヲタクの世界を構成する要素でもある。
僕は高校の頃「泣けない」というのがコンプレックスだった。
友達に「絶対泣けるから」と言って借りた本で絶対泣けなかった。
感受性の無さが恥ずかしかったし、
友達の感受性が羨ましかった。
自分特有の能力を他人に認めてほしいと誰もが思うように、
人は「他の人にはわからないかも知れないけど好きなもの」を「好き」と言うことで、
つまりはその対象を通じて自分自身のセンスを主張しているのだろう。
僕は『グラップラー刃牙』が大好きだが、
万人にウケるとは思えないし、
特に女の子は苦手な人が多いと思う。
けれどむしろ「万人ウケはしない」というところが、
刃牙を愛するモチベーションの一部になっているのだ。
とは言え僕が作りたいのはやはり「普通に面白い」である。
時代が大きく変わっても残り得るのは結局そっちだからだ。