51〜60本目までのベストは、
北京蝶々の『オーシャンズ・カジノ』。
エネルギーがあり、またそのエネルギーに価値があった。
ただの発散とは違う。
ただの発散は他人に見せるものではないのだ。
そういう演劇は多い。
近頃はTwitterでもよく見かける。
人間は怒ったり悲しんだりすると体内にエネルギーが生まれる。
生まれたエネルギーは、
荒れたメール・荒れたツイート・器物への打撃・不機嫌な顔などに変換され、
時には舞台化される。
そういう創作の仕方が必ずしも悪いとは限らない。
『バクマン。』の平丸さんが良い例だ(実在の人物ではないけれど)。
負のエネルギーが芸術に変化することはあり得る。
けれども、その化学式は極めて複雑な様相を呈する。
もし単純だったら女子中学生は今頃みんな芸術家になっている。
Twitterはまぁ、多少は荒れてもいいんだと思う。
多分そういう性質のものだ。
悪口禁止ってことになったら誰もTwitterなんかやらないだろう。
人間は悪口を言いたがるものだし、聞きたがるのもまた人間である。
「www」という感覚は、
これを「くさくさくさ」と読むことを知らない人にも、(←僕は最近知りました)
多かれ少なかれ、ある。
超キレてんのとかマジうける。
だから、Twitterは別にいい。
(そもそも僕の許可など微塵も必要としないわけだが)
しかし他人に対価を求めるならば別だ。
個人的なエネルギーは何らかの方法で熟成させて、
料金や時間を支払うだけの価値を付与しなければならない。