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2007年08月31日

演技論2

演技論は通常、
「一貫した人格を持つ、すなわち実在し得る人間を演じること」
を前提としている。
が、わざわざそれを言うことはあまりない。
何故なら言うまでもないからである。
演技とは人間を演じることであると一般的には認識されており、
1+1=2をわざわざ確認することは滅多にない。

そこには、台本は人間を描き、俳優は人間を演じることによって、
面白い芝居が作れるはずだという暗黙の信念がある。
狭めて言えばそういう芝居しか面白くないという排斥である。
本当にそうだろうか。

一般的に観客が期待するのはやはり人間の物語であって、そういう意味では本当にそうだ。
観客を無視して面白半分に抽象的なことをやるのは愚かしいと思う(有料なら特に)。
しかし人間を描く以外に道はないのだろうか。
人間の物語は果たして永遠に面白いだろうか。

人格の崩壊した人間が出たら面白いんじゃないか。
という話ではない。
彼は「崩壊した人格」を持った実在し得る人間である。
俳優は色んな約束事に縛られているからそもそも人間を演じているとは言えない。
という話でもない。
複数の事柄を同時に意識することは可能である。

飽きることがあると思う。
ある観客や作家が、あるいは時代が、人間の物語に。
思わず倒置法を使ってしまった。
「突き詰めても人間の物語でないのに面白い芝居」を想像することは今の僕にはできない。
しかし、それは単に未知であるというだけのことのように思う。
posted by 森山智仁 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月30日

CABOOSE

070829_1227~001.jpg久々に昼食を開拓。
八王子駅南口徒歩2分。ランチ800円。
強烈に美味かった和風チキンソテー。
posted by 森山智仁 at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

演技論

070827_2206~001.jpg団員の丹羽が買った演技論の本を借りて読んでみた。
細かい意見・感想はまた場を改めて書きたいと思う。
今は一つだけ。

俳優訓練学校では演劇の歴史とかも勉強させられるが、
そういうのは学者に任せておけば良いというくだりがあった。
僕はそうは思わない。
作家や演出家の「駒」になりたくないなら尚更だ。

やみくもにシェイクスピアやチェーホフで稽古をするのは無意味、というのは賛成。
特に「古典だから」という説明だけで練習用台本にすべきではない。
「生き残ったのは素晴らしいからであるはずだ」も「古典だから」の言い換えに過ぎない。
どう素晴らしいのかは実感を伴って語られる必要があり、そしてそれはそれとして、
俳優の卵がいきなり取り組むものとしては不向きだと考える。
何故なら現代の日本とコンテクストが違い過ぎるからだ。
(作家と、あるいは仲間と)イメージを共有できない言葉は、
どんなに「感情」を込めようとしてもただの音にしかならない。
毎日コンビニでバイトしてる平田郁男(23)(そろそろバイト変えたいと思っている)が、
どんなにロミオを突き詰めてもやはり中身は平田郁男(23)なのである。
悪いけどきもい。
「変身」は極めて俳優本位の幻想だと思う。
俳優という仕事の魅力は違う人間になれることなんかじゃない。
平田はどこまでも自分が平田であることを忘れてはならない。
古典は古典の、つまり当時の異国のコンテクストで書かれており、
それを演じるには(少なくとも駆け出しの俳優は)「変身」をすることになるだろう。
「変身」は見ると白々しいのに本人は結構気持ち良くなってしまうという性質がある。
観客は決して、俳優の自己陶酔を見たいわけではないはずだ。

脱線した。
歴史とかも勉強した方がいいというのは、僕は演劇を学問のように考えているからだ。
と言ってみたらそのままだった。
学問の世界では、既に発表されてる論文と内容がかぶったら価値はない(らしい)。
徹底的にオリジナルであることが求められ、従って「何は発表済みなのか」を知らなければならない。
演劇も、過去であれ同時代であれ、誰かとかぶってるなら究極的には無意味だと思う。
少なくとも演劇史的には無意味だ。書き留めるに値しない。
「直感的にやりたいこと」は持ってるに越したことはない。
しかし過去に誰が何を考えどう歴史を変えたのかは、
もし後世語られたいのならば、知らなければならないと思う。
「時代を越えて変わらない大切なものを表現したい」みたいなのもよくあるが、
あなたが歴史書の記述者だったらそんなのをいちいち書くだろうか。
歴史だなんて大袈裟と思われるかも知れないが、
多大な金と時間遣って誰にでもやれることをやるなんて虚しくないだろうか。
勿論そういう「何をやるか」は主に作家や演出家の領域である。
が、俳優も創造の棒を担ぐのである以上、
(かぶったら無意味というのは少々極端かも知れないけれど)
携わろうとしている、または今携わっている作品が、
積み重ねられた歴史の最先端という現代において、
果たしてどのぐらいのオリジナリティがあるのか、
何を志しているのかを知ろうとすべきではないだろうか。

と、ここまで来て、置き去りにしてはならないのは観客の存在である。
演劇は観客なくしては成り立たない。
いくらオリジナリティに溢れていても、
観客にわけわからんとしか思われなかったらとにかくそういう結果でしかない。
電波は発しても受信されなければ始めから無かったのと同じだ。
僕がモットーの中に「大衆化」を入れているのは概ねそんな考えのためである。
posted by 森山智仁 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

ヒルネ

070825_1217~001.jpg八百屋のバイトの休憩時間、
トラックの荷台に寝転がって10分前後眠る。
8月ももうすぐ終わる。
posted by 森山智仁 at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

演劇ってつまらない

演劇やってる人って口を揃えて「演劇ってつまらない」と言う。
正確には「観に行くとハズレが多い」と言う。
しかも自分が面白いと認められてるわけでもないのに、である。

何となく慣れてしまったけど実はこれは恐るべきカオスだ。

「鑑定能力は高いが創造力は低い人が多い」ということなのだろうか。
能力が高いという表現は肯定的過ぎるとしても、実際これはあると思う。
言うだけなら簡単だ。
腕立て伏せ20回もできないおじさんでも、
野球を観ながら「ヘタクソ!」とか言うことはできる。
言う権利もあると思う。
そしてつまらないのが多いというのも恐らく偏見ではない。
実力が伴わなくても上演できるのが小劇場だからである。
ネットで小説を発表するのと似ている。
演劇はチケット料金を取るというのが大きな違いではあるが。

でも当たり前だが面白い舞台は存在する。
問題は見つけにくい(多過ぎる上に単価が高い)ということだ。
面白い小説読みたい人はネットで素人のサイト回ったりなんかしないだろう。
それでもし閲覧に金がかかったりするなら尚更見ないだろう。
あと小説なら途中で本を閉じることもできるが、
演劇はわざわざ劇場まで行き、基本的には最後まで座っていなければならない。

面白い舞台を見つけ易くするにはどうしたらいいだろうか。
僕は、腕立て伏せできないおじさんの喚きでも構わないから、
ブログ等でもっと批評が活発に書かれるようになったらいいんじゃないかと考えている。
posted by 森山智仁 at 13:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月21日

主導権

常々思っていることだけれど、
この世にはイニシアティブを取る人間と取られる人間がいる。
正確にはある2人以上の集団において取る人間と取られる人間に分かれ、
Aの集団では取るがBでは取られるということもある。
例えば学校では引っ込み思案だけど家では態度デかいとか、
友達グループではいじられキャラだけど彼女には亭主関白、等である。

取られている状態では、人は十分に力を発揮できない。
取るのも能力の一つだが、必ずしも取ることが良い結果を招くとは限らない。
リーダーは取れる人間の方が何かと良いだろう。
しかし取り過ぎれば、思慮やセンスのある貴重な意見を殺すこともあり得る。
取られている人間は大抵、取っている人間に対して思っていることを半分も言えないからだ。

作品づくりの場面でもイニシアティブは猛威を振るう。
取っている人間の作品に取られている人間がまともに意見などできるだろうか。
取られ易い人の方が、取ってしまう人より遥かに多くの声を聞くことができる。
聞くだけで作品が良くなるわけではないが、少なくともチャンスには恵まれている。
posted by 森山智仁 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月19日

池袋かぶらや

070818_2017~001.jpg安くて美味しい良い店だった。
故に私は少し飲み過ぎた。
ネギマに味噌は最強のタッグなのである。
posted by 森山智仁 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月17日

池袋演劇祭CM大会

070817_2031~001.jpgに、参加してきた。
劇中の山場的なところを抜粋して上演した。

今回は久々に自分は出演しないのだけど、
それはそれでむしろ緊張するのだった。

2分間以内・照明変化無しという制約の中で、
しかもバラけた客層に対して、
どう魅せるかというのはとても難しいところだけれども、
五○鬼さんや東京アンテナコンテナmiXミルク・ブラザーズさんのパフォーマンスは、
特に印象に残ったし見習いたいと思った。

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進行についてはちょっと気になりました。
(池袋演劇祭の発展を願っての提案です)
毎年のことながら、段取りがかなりよろしくないと感じます。
司会が確認を取ってから開始のブザーを鳴らすという説明だったのに、
確認完了前にブザーが鳴ることが何度もありました。
「そのぐらいのことはまぁいいじゃないですか」
というような意見も一昨年の意見交換会で聞かれましたが、
そのぐらいのことこそちゃんとしていただきたいと思います。
開始のブザーは要らないのではないでしょうか。
司会の「どうぞ」で計り始めて2分経ったらブザーが鳴る、
という形で十分だし、その方が混乱しないのではと考えます。
posted by 森山智仁 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

中野富士見町駅

070814_1733~001.jpg素晴らしい心づかい。
posted by 森山智仁 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

嫌われガリレオの一生

070811_0828~001.jpgみんな今回の台本の主人公(ガリレオ)を
「そんなに嫌な奴じゃなくない?」と口を揃えて言うのだが、
それは現在地動説が定着しているからそう言えるのであって、
もし彼と同時代にいたらきっとみんなもごく普通に嫌うだろう。
行動だけでなく人柄もそうだ。
横から見てれば嫌う人の方を理不尽に感じられても、
実際に関わったら味方しようとは思わないだろう。


信念も実らず、仲間も得られず、
死後も報われない方が「リアル」ではあるかも知れない。
でも今回は英雄のお話。
posted by 森山智仁 at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする