ブログ トップページへ / 劇団バッコスの祭 公式サイトへ

2006年03月15日

第3号(全5号)「演技」

シアターゲームと呼ばれるものがある。演技の基礎訓練として行われ、楽しかったり辛かったりする。一見するとただ遊んでいるように、あるいは無意味なシゴキをかけているようだが、ちゃんと一つ一つに意味があるらしい。劇団が開く「ワークショップ」というのは、このシアターゲームをいろいろやってみましょうというものが多い。

一つのゲームが幾つかのバリエーションを持っていたり、演出家が勝手に考案したりするので、それらを個々に数えれば恐らく何百種とあるだろう。その中でも一番知られているのはやはりエチュードだろうか。何故か演劇でエチュードというと「即興劇」を指すが、本来は「練習曲」の意味で、短い練習用の台本を用いての稽古を指す場合もあったと思う。

さて、「即興劇」としてのエチュードだが、これを基礎訓練として採用している劇団はかなり多いと思う。では何を目的としてエチュードをやっているのか、と問うたら、その答えは意外と一致しないだろう。「演技の基礎だから」は答えになっていない。「アドリブの練習」「トチった時に焦らないように」は……まぁ別にそう考えてもいいが。「客席に背を向けない等の習慣付け」という考え方もあった。「演技の本質は即興性にあるから」とかもっともらしく言われると「そうかも」と思ってしまうかも知れない。「笑いを取る練習」なんてのもある。エチュードでいつものメンバーから笑いを取れ、というのは相当酷な要求だ、と個人的には思っているが。

始めの頃はうちの劇団でも(どこかからパクってきた)シアターゲームを色々やっていた。意味付けも共通認識にしようとした。今でも少しはやっている。エチュードもやる。だが、あくまで台本稽古に入る前のウォーミングアップという程度の扱いで、訓練として重きは置いていない。その代わり、以前よりは少しだけ体作りのメニューを強化し、体術(無手の立ち回り)も課題としている。即ち、やっておいて損はしないものだけをやっている。

役者というと表現者なのでまず「表現力」が思い浮かぶが、どうも最近「運動能力」の方が役者の、何と言うか「オーラ」に影響しているような気がする。残念ながら僕は中高6年間演劇部という不気味な青春を過ごしてしまったが、将来本気で役者を目指している高校生には、演劇部なんかに入らず、是非どこかの運動部でいい汗流してほしいと思う。と、話が逸れた。

シアターゲームについての見解は、演劇の基礎とは何か、さらには演技とは何かという思想に準じる。演技とは何々であるという仮説も立てずに「演技に良さそう」なシアターゲームをやるのは、運動もせずに「体に良さそう」なモノを食べるのと似ている。本質的には殆んど意味がない。かと言って、スタニスラフスキーの教えをあたかもオリジナルのように振りかざしてスタニスラフスキー・システムの真似事をするのも好ましくないと思う。

僕は、シアターゲームで演技の基礎を養うには、長い時間と強い信仰心が必要だと感じた。気色が悪いので、役者に崇拝は求めたくない。

では、僕は演技とは何だと考えているのか。という話は始めると長くなってしまうので始めないが、演技について最近よく思うのは、演技とは何々であるという思想は千差万別で当たり前、共有よりもすり合わせが重要だということである。自分も含め、単なる個人的な「仮説」をいつの間にか不変の「定理」と勘違いしていないだろうかと問いかけたい。
posted by 森山智仁 at 00:00| 企画:折り込みマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

第2号(全5号)「価格」

演劇のチケット料金は、概ね映画よりは高い。このことについて、演劇集団キャラメルボックスのプロデューサー加藤昌史氏は次のように言った。

「映画との比較をしちゃったら、そりゃ、演劇がかわいそうです」(加藤昌史の「演劇の謎」にお答えしよう!!のコーナー,http://www.katoh-masafumi.com/nazo/index.htmlより)

これはまぁ、よく言われることだ。演劇は生身の役者が上演するわけだから、映画より遥かに予算がかかるのは明らかである。

だが、本当に「かわいそう」だろうか。否、本当は既に「かわいそう」なのではないだろうか。

「上演者と観客が一つの空間で体験を共有できる」

これはよく言われる「演劇の魅力」だが、そんなもの人は知らない。そして「映画の魅力」も別にちゃんと存在する。ならば、その「演劇の魅力」とやらは果たして映画よりも高い金を払って観る価値のあるものだろうか。「演劇人」であることをいったん忘れて「消費者」の立場でモノを考えてみると、当然そのような疑問は浮かぶ。

「映画と違うんだから高くていい」は作る側と演劇ファンの言い分で、一般の消費者にはまったく通用しないはずだ。いや、理屈は理解できたとして、結局のところ消費、つまり劇場に足を運んでみることはしないだろう。

一消費者ならば、演劇の事情なんか知らない。映画と比べる。そして高いと思う。確かに演劇は、滅びないでほしい、滅びるべきでないと思う。だが、ヒイキしなければどう見ても映画の方が有利だ。消費者を無視し続ければ、やがて演劇は滅びてしまうのではないだろうか。(「演劇の魅力」を理解してくれる人は意外に多いから、実際そんなことはないだろうけど)

小劇場での一般的な公演の場合、チケット料金は大体2000円〜3000円代で、この数字は単純な計算で出る。例えば劇場使用料が4日で備品等含めて約30万、稽古場代・チラシ印刷等の制作に10万、装置・小道具・衣装等の製作に10万、計50万の費用がかかる。で、キャパ(客席の収容人数)が75人で5ステージ、見込み総動員数が250人だとすると、50万÷250人で2000円となる。高い劇場を使ったり、制作・製作に金をかければもっと高くなる。

そして、これはプラマイ0の数字、つまり関係者にギャラが出ない場合である。従って、生活しているという意味でプロを名乗ろうとすれば、もっと凄いことになっていく。

しかし、うちの場合は前売1000円/当日1200円である。安くする理由は単純で、映画とまともに戦ってみたいからだ。普段演劇と縁のない人たちに観てもらわなければ意味がない(その逆も然り、そういう人たちにだけウけてもまるで意味がない)と考える。予算の不足分は在籍団員が負担している。これを「プロ意識の低さの表れ」「学生の友達客が減るのが怖いんだろう」と見られる方もある。それならそれでいい。

ご覧になった方に「安過ぎるだろ!」とツッコまれる芝居を作りたい。と、ツッコんでいただけるとしたらそれは多分、演劇関係の方だ。くどいようだが、消費者はそんなこと知らない。
posted by 森山智仁 at 00:00| 企画:折り込みマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

第1号(全5号)「これまで」

2001年9月、東京学芸大学附属高校の“辛夷祭”で、僕の作・演出した3年B組の『遠衛兵』は圧倒的な動員を得て“辛夷杯”を獲得した。自分たちの作った芝居が、多くの他者に何かを与えた。大学に入ってからも演劇を続けようとは、それまで思っていなかった。

2002年4月、早稲田大学第一文学部に入学。某演劇サークルの新人訓練に何度か足を運んだが、その訓練を重ねて面白い芝居が作れるようになるとは思えなかった。何しろそのサークルの芝居がびっくりするほどつまらなかった。面白いサークルもあった。しかし自分は、戯曲が書きたい。結局自分でやることになった。

同年8月、高円寺の明石スタジオにて『ベルゲンゼリアの時計塔』を上演。旗揚げ前一発研究公演と銘打ち、フリーカンパ制で3ステージ。ナチスとサラエボ事件を足して、ファンタジーを和えたような戯曲。団体名は「劇団インサイドバザール」。わいわいがやがやと夏を過ごした。

2003年3月、銀座小劇場にて旗揚げ公演『弟斬草』を上演。前売・当日共に500円で4ステージ。日本神話と源平合戦を合わせた、大河ドラマ的な戯曲。

2003年8月、中野のスタジオあくとれにて『ライト・ダウン』を上演。前売800円/当日1000円で5ステージ。初の現代劇。タクラマカン砂漠を舞台としたTVクルーたちの物語。

2004年3月、同じくスタジオあくとれにて『Fxxk Trick!』を上演。前売800円/当日1000円で5ステージと、これも前回と同じ。初めて森山以外の手による作・演出。浪人生のコメディ。

同年8月、大塚のジェルスホールにて『The Knight of Zipangu』を上演。やはり前売800円/当日1000円で5ステージ。北米で止まったコロンブスの船がもし日本に届いていたら、という冒険活劇。

ここで、物凄く何となくだった「劇団インサイドバザール」を、現在の「劇団バッコスの祭」に改名し、モットーを「大衆化と高級化の並行」に固定する。

2005年3月、小金井の現代座会館にて『アンネに恋をした男』を上演。少し値上げし、前売1000円/当日1200円で6ステージ。夢の中で過去を旅する男が、歴史を変えてアンネ・フランクを救おうとする物語。

同年9月、池袋演劇祭に参加して『マタイ』を上演。前売1000円/当日1200円で7ステージ。古代の邪馬台国が現代レベルの科学力を得て、最後には滅びるという物語。何かしら賞を取りたかった。取れなかった。

手前味噌を並べたつもりは毛頭ない。味噌ではないのだ。反省をだらだらと綴るのは卑屈なのでやらないが、過去の公演はどれも正直言って恥ずかしい。勿論誇れる部分は、少しずつ増えてきている。それでも総じて言えばやっぱり恥ずかしい。

来る4月、神楽坂die pratzeにて、第7回公演『霧むせぶトネリコの森』を上演する。多分またこの先いつか、恥ずかしいことをやったと思うだろう。「いつでも最高の舞台をお届けしてます」なんて、口が裂けても言いたくない。それでも今度こそ恥ずかしくない芝居を作りたいとは、いつも本気で思っている。
posted by 森山智仁 at 00:00| 企画:折り込みマガジン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする