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2005年03月04日

意外とデジタル

たまに芝居のアンケートなんかで「点数」とか「満足度」を聞かれることがあって(書かれることもあります)、その度に僕は二つの矛盾することを同時に思うのです。すなわち、「そんなデジタルに決められるわけないだろ」と「でも意外とデジタルに決められるんだよね本当は」。

どれだけ自分を問い詰めても、一般的には20点刻みの5段階評価ぐらいしか下せないものだと思います。それ以上詳しく聞いたところで、基準が曖昧過ぎる加点・減点が入り、逆に精度を落とすだけです。故に、作品の評価を正確に数値化するのは、当たり前と言えば当たり前ですが極めて不可能に近いと言わざるを得ません。リピーターの多い劇団で公演の度に聞き続けるならば面白いかも知れませんが。

しかし、本音とか深層心理とかの、それよりさらに深層にあって、自分にとっての「核」とでも呼ぶべき何者かに直接問いかけることができれば、意外と気持ち悪いほどデジタルな数字でもって答えてくるんじゃないだろうか、と僕は大して根拠もないのですが考えているのです。もし、全世界の人々にその芝居を見せて(古代ギリシャの=キャパ1万5千人ぐらいの劇場で毎日2公演ずつやっても約500年かかりますが)全ての客の「核の点数」を聞き出して平均を取ることができたら(できませんが)、その芝居の、極めて完璧に近いレベルで普遍性を持つ「点数」を、決めることができるのではないでしょうか(後世になって価値が認められるということ等も往々にしてありますから、それが全てだとは言えませんが)。あー、前文ちょっと括弧が多過ぎですね。文章の下手な人のやることですね。

客の評価が全てじゃないだろう、とお思いかも知れませんが、僕は敢えて「じゃあ他に何?」と言わせていただきます。作り手がその作品をどれだけ大事に思っているか、それもどうでもいいことだとは言いません。が、それを盾に取ることは、「芸術=所詮自己満足」という、安易かつ非生産的な思想に至るのです。

デジタルに「点数」を決めることは、実際には不可能だと言いました。しかしながら、歴史に残った演劇はほんの一握りであって、その誰でもわかる事実のみからしても、全世界の核(言わば「神」)の判定は活きている、と言えるような気がします。勿論、無名の天才もいたことでしょう。でも後の世の人にわかるのは、彼が天才だったことではなく、無名であったことだけなのです。正しい判定を受ける機会をつかみ取ることもまた、才能の一つなのだと言わざるを得ません。あ、誰に言ってるかってこれ主に自分に言ってるんですよ。
posted by 森山智仁 at 00:00| 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする